ミクロネシア・チューク

フェイリフ島へ!


2度目のチュークの旅。今回の取材は、お天気に恵まれたことで、更なる魅力を発見した。それは小さな島のことだけど、チュークのダイビングを知る上で、とても大きなことだった。島の名は、「フェイリフ島」。チューク環礁のお隣、キミシマ環礁にある島で、取り囲む海のグラデーションが本当に素敵だった。濃淡色のソーダ水のような輝きに心がとろけそうになる。
そして、嬉しいことに、キミシマ環礁のダイビングポイントはこの島の周囲に広がっていた。

そして沈船と出会った

「なんて大きいんだろう」チュークではじめて出会った沈船「輸送船 富士川丸」を目の当たりにしたとき、その一言しか出てこなかった。全長約130mの船首部分を俯瞰気味に眺めている僕は、鎮座する巨大な大砲を眺めながら呆然としていた。経験上、沈船を潜るのは初めてではなかったが、ここまで大きなものは対峙したことがなく、この大砲は敵を威嚇し破壊をするためのものなのだと理解した時の気持ちは、表現できぬほどの複雑な気持ちになった。
 

チュークでの取材を続け数年が経ち、比較的撮影のしやすい浅い水深の沈船は、かなり撮影も進んだ頃だった。ある日、鵜口から「沈船が崩れてきている」との連絡を受けた。もちろん年々劣化していくのはわかっていた事でありながらも、雨風など気象の変化をほぼ受けない沈船たちは、陸上の戦跡に比べ烈火の速度は遅いと思っていたが、やはる70年という時間はあまりにも長いということなのだろうか。これからのち、さらに多くの沈船で劣化は進んで行くだろう。約10年前からの姿を見続けてきている者として、しっかり今後の沈船たちの姿を継続して記録を残していきたい。

陸上戦跡を巡る


チュークの本を作るにあたってはやはり沈船だけでは語りつくせぬと考え、夏島にも上陸した。戦時中夏島には連合艦隊の司令本部が置かれ、ピーク時にはおよそ五万人の日本人が暮らしていたという。同行した記者が入手した当時の地図を元に燃料タンク跡、司令本部跡、公学校跡、教会、病院跡などを巡り、地図上では山本五十六長官が滞在したと記される旧家屋にも足を延ばした。我々には見慣れた形の電柱などから、当時ここにまさしく日本人の生活があったのだと感じさせられ、この夏島訪問を機にこれまで潜ってきた沈船のなかにも、改めて人々の生活があったのだと感じるようになっていった。

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